天外魔境III
まあ、最初に言うとするなら、ハドソンは土下座してでも桝田省治を招集しておくべきだったわけだなと。
まだ10時間程度なので確定ではないが、いろいろダメっぽさが漂う。
戦闘そのものは最初は「お?!」っと思った。たくさんの雑魚をなぎ倒していく感覚がRPGとしては新鮮。敵の数が多い割には比較的テンポが良い。そう思えたのも束の間。まず、敵が弱すぎる。殺気を感じない。ちょっと防御力上げたら敵でなくなる。
次に全体的な重さ。
シナリオが重いとかじゃなく、操作感が思い。天外2の優れた操作性と比較すると目も当てられない。マップは天外2並の広さなのに移動速度は半分くらい。無駄に3Dにしたので天外2のような思い切った移動速度が得られてないんだろうなあ。
天外2はマップが広く、あちこちに天狗の庵があってそれを探すのが結構大変なのだが、広さをカバーするかのように移動速度が高い。マップが広いのにそれを探索するストレスをためさせないというある意味相反することを完全に整合をとっているのである。
天外2と同様にクソ広いマップを移動しなきゃいけないのだが、動作がもったりしてるので余計に広く感じる。一応道路を歩けばエンカウントしないみたいだけど、マップを全部探索したら当然道路から外れるわけで。
戦闘も最初は目新しく感じるが、ただ、敵が複数に増えてるだけで、結局、1匹かグループ単位になっただけ。グループ単位でダメージ与えられるから結局は一緒。
技に関しても不満はある。
ようは、技使用の対価を消費型にしたこと。これは戦闘中攻撃やダメージ食らうことで増えるゲージのことで、最大で10たまる。最大値状態で奥義が使え、普段は1消費で技が使えるというもの、このシステムそのものはさほど悪くないのだが、応用の幅がえらく狭い。
むしろ、天外2の奥義システムは、対価と見返りという、この手の奥義に関する問題を高いレベルで完全に消化したすばらしいシステムだったので、わざわざ変更した理由がわからない。むろん、天外2を意識しての脱却というのもあるだろうし、このシステムそのものはDQ67あたりの特技と似通っているのでそれを嫌ったという可能性はある。むしろ差別化して天外3色を出そうとしたと見るべきか。
このシステムそのものはさほど悪くないが、天外2みたいに、リスクを覚悟すればいつでも使えるという利点やそのリスクをいかに軽減して最大のリターンを得るかという楽しみが無い。
過去何度も天外2の戦闘システムを褒めているが、具体的には話をしていなかったと思うので、天外2のシステムのすごさを説明するなら。
「奥義システムのリスクとリターン」
この一言に尽きる。
天外2の奥義は、大抵、何かデメリットを得る代わりにリターンをもらうという形式である。これそのものはMP消費というデメリットでいろんな効果を得る魔法というRPGによくあるシステムと同じだ。MPというリソース制限で使用回数などのリスクを負う。
天外2の場合、まあ消費型というリスクの場合もあるが、たいていが、何も消費せずに使用できるのである。それだと使い放題じゃないかという話なのだが、たいていがリスクを背負う。使える技ほどそのリスクは大きい。
二倍撃の攻撃をするが、代わりにその後数ターン行動できない、与えたダメージの半分を自分が食らう、守備力が一時的に0になる代わりに大ダメージをあたえる捨て身の攻撃などである。
これらは普通に使うとリスクが大きいが、状況を考えたり、術でサポートしたりすればそのリスクを無視することが出来る。
天外2の戦闘の醍醐味は、この癖のある奥義をいかに自分への不利益を減らして利用するか。この一点に尽きるのである。
自分の立てた作戦どうりにはまると、どんなボスですら楽勝で勝てるし、この点を利用できないととてつもなく苦戦するのである。
この優れたシステムを捨てて導入されたシステムが今回のシステムかと思うと物悲しく感じてしまう。
天外2のシンプルかつ応用力によって無限(とまではいかないが)の可能性を秘めた戦闘が出来た天外2のバトルはどこに行ったといいたくなる。
グラフィックは2Dから3Dにされたが、現在のポリゴンキャラと比較して優れているわけでもなく、むしろ昨今のものと比較して劣っているといっていいし、そのポリゴンにしたせいで無駄にロードが多くテンポの悪さを助長する。
はっきりいって、町の中で店の中にすら入りたくないくらいロードは長い。
ましてや、民家なんかに入って無人だったときの脱力感といえば・・・。
システム面でも既に穴だらけなのだが、売りのはずのシナリオ周りにも魅力が薄い。
以前の論調で言うなら、グラフィック、シナリオ、製作の主張なんてものは客寄せパンダなのだが、客寄せパンダがチープなものなら客寄せにもならないわけで。
ここからは持論に反するが、そのあたりの出来の悪さにも言及していくことにしよう。
まず、シナリオのテンポの悪さ。
天外2は当事のRPGと一線を隔す為に当事としては異様といえる移動速度*1エンカウントは多いのだが、ロードがなく戦闘そのものも早いためストレスに感じにくく、そして30分に一度起きるイベント。この手のイベントというのは序盤は多く、後半に行けばいくほど少なくなる傾向にあるのだが、天外2のすさまじさは最後までこのテンションを保っていくところ*2にもあった。
それに比較すると、全然テンポが悪く下手すると1時間ちょろちょろしても何も起きなかったりする。色々やりこみ要素があってそうなのなら救いはあるのだが、移動に時間かかる、戦闘に時間かかる、ロードに時間がかかるとストレス部分で時間が稼がれているので救いが無い。ぽんぽんと何かしてくれるサービス精神旺盛だった天外2に比べてなんと寂しいことか。
敵ボスそのものが主人公たちの引き立て役として存在するべきなのが天外としてのボスのありようなのに、もう悪役が魅力的ではない。引き立て役になるには、悪役が主人公たちと同等に魅力的でないとダメなのだ。
天外シリーズってのは桝田さんも、広井王子自身も言っているとおり、キャラゲーなわけで、世界の全ては、キャラクター個人を引き立てるために存在するといっても過言ではない。
にもかかわらず、敵は主人公たちを引き立てない。
話を盛り上げるために出てきた死神三兄弟の大仰な出現の仕方に比べてイチモツの登場のなんと地味なことか。
天外2の引き立て術は秀逸である。
カブキ団十郎を引き立てるのは菊五郎。こいつとカブキの見栄っ張り対決が序盤の見所なのだが、主人公の卍丸をそっちのけで盛り上がる盛り上がる。最終的にはカブキに軍配が上がる。引き立て役としては正しい終わりかただ。まあちょっとカブキすら喰っている勢いがあったが。
派手に盛り上げたと思えば、極楽太郎を引き立てるのははまぐり姫。はまぐり姫と極楽そのものはさほど絡みが無い。
だが、夢幻城をクリアした直後の卍丸との会話が彼の渋い魅力をぐっと引き上げる。この極楽の演出はすごい。
何がすごいかというと、その後徐々に明らかになっていく極楽の過去と、はまぐり姫の悲劇とそれにオーバーラップしていく状況である。はまぐり姫と極楽にほとんど接点はなく、唯一の接点が人魚の存在だけなのに、わずかに知ることが出来る断片的な情報だけで極楽の一言の意味と重みが後半にわかるのである。無論情報集めあんまりしない人には永遠にわからないが。カブキのわかりやすい演出と比較して、なんと地味かつ知った時の意味深さか。天外2は村人のメッセージすら非常に良い演出をする。クリアや設定に関係ない台詞すらその情緒を感じさせるほどに。
一方、天外3では主人公ナミダが序盤で父殺しという苦渋の選択を迫られる。迫られるのだが、父には一応ボイスこそあれ、顔もなければ名前も無い。やり取りも少なく、プレイヤーは何の感情移入もなく父をぶちのめせてしまう。父殺しという業を主人公に背負わせたいのであれば、父の存在をもっときっちり描くべきなのだ。ただのモブキャラに毛が生えた程度のキャラを父だとかお前は父殺しだとか言われてもしっくり来ない。
こうして見ると、天外3には演出力が欠ける。無論ポリゴン人形の見せ方も問題があるのだが、普段は2Dでイベントではアニメという天外2のわかりやすい見せ方の前に大いに劣っている。演出というのは結局タイミングとカット割と後は会話なんだなあと。
にもかかわらず、天外3ではこのタイミングと会話全てがイマイチ。台詞で引き立てるものもなく、見せ方もまずく、せっかく入るムービーらしきシーンもイマイチ。
そこを売りにするならせめてもうちょいマシなものと思うのだが。
結局単品で見たら実はそう酷評されるものでもないと思う。まあファミ通で7点はつくだろう。
問題なのは天外シリーズでこの出来だから俺は叩くのである。
天外2の後継を名乗るなら、戦闘システムも、シナリオも、国の数も、ボスのインパクトも、キャラクター性も、グラフィックも全て天外2を上回ってもらわないとダメなのだ*3。
何もかもが天外2以下の状態で褒めてもらおうというのがそもそもの間違い。
で、ここまで酷評したが、実のところさほどショックではない。
まず、桝田さんが参加しないと言う時点である程度予想できたことである。そして、桝田さんが参加したとしても、天外2を越えることが出来たかどうかも疑問である。そもそも、天外2というのはコンピューターRPGの完成形であり頂点にある作品と俺は位置づけているので、そうそう越えれるわけが無い。天外2に並べる作品は今のところDQ3だけなのだ*4。天外2*5が出て11年。今のところこれを越えた作品は無い。ひょっとすれば一生、天外2を越える作品に俺は出会えないかもしれない。
ある意味、俺の中で伝説になっている天外2をリアルタイムでプレイできたことはゲーマーとしては至上の喜びでもある。同時にRPGに対する舌が肥えすぎる要因にもなったのだが。
天外3の不幸は、天外魔境IIという一種、到達できない領域まで達したゲームの続編という地位に立たなければいけなかったということだろう。
偉大な父の背を越えることが命題だったが、それがかなわなかったわけだ。
ある意味、天外3の冒頭が父殺しであることが、暗喩な気もする。うがちすぎな意見だが、広井王子は天外3という作品の主人公に天外2という父を殺させることによって、天外2とは違う作品なんだよと言いたかったのかも知れない。もっとも世間はそう見てくれないであろうが。
不幸なり天外魔境IIIと言った所か。
出来はイマイチだが、ある意味予想通りといえるので、ダメージは少ない。少ないが悲しいことは事実である。