魍魎の匣

 久々に読み返した。というかこれが1冊丸まる読めて、なおかつ、狂骨の夢が半分くらい読めるくらい、出張での移動距離が長かったわけだが。3日ぶりだもんなあ。家に帰るの。
 京極堂シリーズで、1,2を争うくらい好きな作品というと、この魍魎か絡新婦の理のどちらかになる。今回の認識でおもったのは、本は最低3回は読むべきだとおもった。最初は当然、2回目は比較的早く、3回目は忘れかけた頃にもう一度。そうすることによって、以前理解できなかった部分が非常に良くわかる。
 無論、1回で全て理解できるのが一番いいんだろうが、この作品1冊が長いしな。そういう意味では、怪作であるわけだが、決して名作とかとはいえないわけだ。傑作とはいえるのかもしれないけれど。
 この作品の肝は偶然。とにかく、偶然に偶然が重なって、複数の事件があたかも単一の事件のように感じられるという変わった作品。複数の事件の関係者は係わり合いがあるのに、事件そのものは単一という、非常に難儀な内容である。前作が見えてるものが見えなかったという、「信用できない語り手」を利用した、少々反則気味の作品だったのに対して、ずいぶん、推理小説らしい仕立てにはなっている。まあ、それでもどこか他の推理小説とは違うのだが。
 そういうわけで、京極堂の1作目を読んでみて、余り受け入れられなくてもこの2作目を読めば、ある程度このシリーズを受け入れられるのではないだろうか。まあ、俺の場合がそうだったしな。今ではそれほど文句いっていないが姑獲鳥の夏だけを読んだ当時は、ずいぶんとつまらない作品だと吹聴していたものだし。そういう意味では、俺にとっての京極堂の原点みたいな作品かな。